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大津城

現在の京津線浜大津駅、そして、その前に広がる大津港。
この一帯に、かつての大津城があったとされるそうです。今は小さな石碑が建っているだけで、城の面影も跡も名残も何も残されていません。

この大津城ですが、歴史の表舞台には、その名前は、殆ど登場しませんが、大きな歴史の所謂ターニングポイントにおいて重要な出来事の舞台になっていたみたいです。

時は、西暦1600年、あの有名な『関ヶ原の合戦』の前哨戦とも言える攻防戦が、この大津城で繰り広げられたそうです。

徳川討伐に向けて東進する西軍部隊。その中の北陸方面部隊大谷吉継隊に、当時の大津城主、京極高次もいました。
この大谷隊が北陸方面から、美濃方面に進路を変えたころに、この京極はん、突如、東軍徳川方に寝返り、大津城に篭城してしまいます。
この報復に、西軍側の兵力1万5千の毛利元康、立花宗茂隊が大津城を包囲し、1600年9月7日に『大津城の戦い』が幕を切ったのです。
西軍1万5千に対して、東軍京極隊は3千。京極はん、圧倒的に不利かと思われましたが、意外や意外!かなりの奮戦を見せ、粘り強さを発揮します。
なかなか城を落とせない西軍側。9月13日には遂に大砲を持ち出して来て、大津城へ発射!これが見事に天主に命中!流石に京極隊、大混乱。どうも、この大津城、ちょうど大砲で狙いやすい距離に、これまた大砲をセットしやすい山があったらしく、その点が、ウイークポイントになったみたいです。
この時の大砲の音や争乱の騒音などは、山を越えて京の街まで聞こえていたそうです。
大砲まで撃ち込まれちゃって、ヘロヘロの京極軍ですが、ここから更に、もう2日間、抵抗を続けました。凄い根性です。この2日間が後で大きく効いてくる事になります。

根性をみせた京極はんですが、流石に力尽き、9月15日に降伏し開城し、京極高次はんは出家して高野山送りになりました。

しかし!しかし!この降伏した9月15日が、天下分け目の関ヶ原の合戦の、まさに当日なのでした。
なので、この大津城攻防戦に加わっていた西軍1万5千は、関ヶ原に間に合わなかったのです。
結果的に、この事が、関ヶ原での西軍敗北の一因となったのでした。
なもんで、家康からしたら「京極はん、グッジョブ!」てなもんで、高野山にいた京極はん、晴れて大名に復帰されたんだそうです。

長くなりましたが、これが大津城の戦いの顛末です。

僕自身、この浜大津一帯は、岸釣り時代から電車などで通っていた土地で思い入れが沢山あります。しかし、この土地で、かつて城があった事も、こんな歴史の大きな展開に関わる事件が起こっていたことも、つい最近まで知りませんでした。
今現在は、たぶん、大津城とは関係ないでしょうが、釣り人なら聞いた事のあると思います『たけし城』ってのなら、ひっそりと建ってますね。

で、自分は、「やっぱり、大砲とか撃った後とかはサカナ釣れへんかったんやろか?」なんて妄想しながら、浜大津で巻き続けるのでした。
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